教師を辞めようと思ったのは

少し暗いタイトルになってしまいましたが…

オランダで生きていきたい、オランダで教育をもっと学びたい、と思ったきっかけを知ってもらうことで、私たち夫婦の教育観を知ってもらえたら…と思い、ここに書き記しておきたいと思います。

少し長くなりますが、オランダに住んいらっしゃる日本教育から少し距離を置いた方々や、もちろん日本に住んでいて、たまたまこのサイトを訪れてくださった方々に、少し立ち止まって日本の教育、教員の働き方について考えてもらえる機会になれば…と思います。

7年間勤めた府立高校の教員を3月に退職して約2ヶ月が過ぎました。
今ここで少し立ち止まって教員生活を振り返ってみようと思います。
…というのも、娘が朝5:30に私のベッドに潜り込んできて、
「日本ではいつも21時に家族全員で一緒に寝てたなぁ」とふと思ったからでした。

日本にいた頃は21時に全員で就寝という感じで、私と彼は朝5時、時には4時やその前に起きて前日の仕事/当日の授業準備をしてから出勤する・・・という生活でした。

今思えば、そこまで授業にこだわらなければ、朝もそんなに早くから起きる必要はなかったと思います…
ただ、”日々の積み重ね”を語る教員が、”授業の準備を怠る”というのはどうしても許せない。という想いがありました。
授業は企業で言う”プレゼン”だと理解し、良いプレゼンをして生徒と共に成長したいと考えていました。

私の場合、高校3年生(受験生)を担当していて週4日の必須授業がありました。
ということは、50分のプレゼンが週に4回×3クラスということです。
それ以外に週2日×3クラスの別科目がありました。

簡単に言うと、5日間に1回50分のプレゼンを6種類作っていたということです。
…これは容易なことではありませんでした。
もちろん50分ずっとプレゼンという訳ではないですが、生徒の現状に合わせてペアワークやグループワークも要所に入れ、ハンドアウト(授業プリント)も作っていきます。

授業は「企画営業」のようなものだと思います。
面白い企画をして、生徒に営業する。生徒に迎合するという意味ではなく、こちらの企画次第で生徒が成長することもあれば、反対に成長しないこともあるのです。

ただ、教員の仕事は授業だけではなく、それ以外に校務分掌(生徒指導部や進路指導部など、係別の仕事)、部活動、そして担任業務などなど……他にもたくさん、本当にたくさんあります。

教員の多忙はメディアでもよく取り上げられていますが、正直な話、共働き教員で子育てをしながら働く中で「真面目に働いたら死ぬな」というのが率直な感想でした。

そして、人の子を育てることに必死で自分たちの子どもの成長をしっかり見つめられているだろうか…という不安が常に頭から離れませんでした。

「授業作りから手を抜かなければいけない状況になったら、もう辞めるしかないんじゃないか」

これは、夫婦でいつも話し合っていたことです。

ただ、この「手を抜かない状況」を作り出すには明らかに手当のつかない残業や持ち帰り仕事をするしかなく、日本の教育において授業へのこだわりは「各自が望んでやっていること」としかみなされません。

ここで公言します。授業が教育活動の要です。
ここでの”授業”とは教師が教壇に立って、一方的な講義を行う意味での”授業”ではありません。
生徒の現状に合わせて授業を企画し、生徒同士が緊張することなく、他者を認め、自分を認め、話合いながら、教え合いながら、協同しながら学びを深めていく。そういう”授業”です。

…今、辞めた立場だからこそ言えるのは、私が現場で7年間過ごす中で、多くの教師が最も疎かにして良いと思っているのは”授業”だったと思います。

「明日何しよ。プリントやらせといたら良いか」
「予習する時間なかったわ…もうそれなりに訳してやり過ごすしかない」
そんな声を数多と聞いてきました。そして嫌気がさしました。

これだけを聞くと、
「教師って何なんや」「税金でしっかり仕事しろ」
と思う人もたくさんいると思います。

ただ、教材研究、つまり授業を作る暇がないくらい他の業務が多いのも確かです。
質の良い授業を担保しながら、1週間に1回50分、6種類のプレゼン(授業)を作るのであれば、”プレゼン”つまり、”授業をすること”…それだけが教員の仕事であるべきだと私は思います。

しかし実際は、授業のことなど考えられないくらい、目の前の40名の1人ひとりの人生には思春期、多感期の悩みがあり、深刻な家庭問題があり、進級の危機があり、友人関係はいびつで、学校に来られない生徒もいるのが実情です。
家庭訪問や放課後に生徒の話を聞いたりする中で、一体どうやって”質の良い授業づくりの時間”を担保するのでしょうか。

“質の良い授業”を維持するために、あらゆる個々の生徒の問題無視して、
「40人向け、50分授業を全力で考えることに注力する」というのであれば、その人は塾で講師でもすれば良いのかもしれません。

でも、学校とはそういう場所ではないはずです。
教師は常に個別の生徒を思いながら、同時に残された生徒の授業のことも考えています。

ただ、企業もそうであるように、教師にも様々な人々がいます。

私が現場にいて感じたのは、それでもやはり授業への情熱が感じられない教師が多かった。ということでした。

「授業よりも、生徒指導を」
「授業よりも、進路指導を」
「授業よりも、部活動を」

大きな声では言わなくても、その人の働き方、教師としての在り方の軸がどこにあるのかは仕事ぶりを見ればわかります。
ただ、教育活動の根幹は授業にある。私はずっとそう信じています。

授業で教室の雰囲気を作るのが私の仕事です。
授業で教室の人間関係をスムーズにする企画を展開するのが私の仕事です。
授業で英語の必要性や世界へのドアを開くのが私の仕事です。
授業で将来の自分像や進路選択、職業選択についての世界を広げるのが私の仕事です。

授業とは、教科を学ぶだけの時間ではなく、人を知り、自分を知り、
育った環境や人生のバックグラウンドが違う人たちと話し合い、
時には意見が食い違いながらも共に問題に立ち向かい、
社会に出たときに全く異なった人たちと協同するための力を養う場です。

…つまり、そういった力がなければ、世界中の人たち(宗教も人種も言語も違う人たち)を認め、共に生きていくことは難しいと私は思います。
「日本はずっと鎖国している」
そう言われる原因は教育にある。とずっと思ってきました。

この複雑な時代を生き抜くため、学力だけではなく、総合的な人間力を養うために、私は授業の企画を考えなければいけないのだと、ずっと信じて授業を作り続けてきました。
…そして、それが教科指導だけの塾にはない「学校教育」だと思うのです。

…とにかく、夫婦で話あった結果、私たちはもうこの状況を続けられない。
という結論になりました。
授業を大切にすれば、別の業務が山積みになり、睡眠時間を削って働くしかない。
そんな現状はおかしい…懸命にこの仕事をすることは命をすり減らすことに繋がる…そんな風に思い出したのです。
教育は変わらなければいけない、教師は変わらなければいけない。そんなことを熱く語れば語るほど、

「政治家になればいい。そうして日本を変えれば良い」
「校長になれば良い。そうして学校を変える気はないのか?」
「教育委員会にいき、教育を変える情熱はないのか?」

いろんなことを色んな人に言われ、考えました。
日本の教育をもっと良くしたい。それは変わらない想いでした。

…ただ、それらのどれをとっても、その時に費やした時間や労力のおかげで、
娘の成長を見逃すことに変わりはない。というのが結論でした。

私たちは教師である前に、自分たちの娘の親でありたい。
それがどうしても譲れない想いだったのです。

自分たちの意見が自己中心的なんじゃないか。そんな風に悩んだ時期もありました。

でも、
「それが当たり前じゃない」
と言ってくれる国があることを知りました。

それがオランダだったのです。

「仕事よりも家族が大切だなんて、当たり前じゃない」
そう言いきって、人々は働きます。

いち早く、家族の元へ帰るため。
いち早く、友人とのディナーを楽しむため。
いち早く、恋人との時間を過ごすため。
自分の人生を楽しむために労働がある。

それがワガママでも何でもなく、当たり前の国があることを知ったのです。

「日本を捨ててオランダに逃げた」
人にそんな風に言われても仕方がないのかもしれません。
「教員不足だと知りながら、退職するなんて」
そうやって罵られるかもしれません。

色々な想いが心を渦巻きながら迎えた退職でした。

ただ、失業しないはずの公務員をあえて辞める決意の重さを認めてくれる人もたくさんいました。

“辞めること”に焦点を当てるのではなく、
“挑戦すること”に焦点を当てる。
「よくリスクをとったね」と言ってくれる。

前向きな意見をくれる人もたくさんいました。

たぶん、今の私のマインドはそういった人たちの言葉に支えられています。
そして、そういった人たちの言葉を裏切らないように、オランダで生き、
オランダで得た良い部分を日本に還元したいと思っています。

そして、少なくともオランダにいる間は、自分の娘も含め、オランダに住む日本にルーツのある子どもたちが、日本語という言語の不安定によってあらゆる可能性が潰されないようにサポートしたい。
私たちが公教育で出来なかった教育やビジョンを注入して、
オランダと日本の良いところを掛け合わせた教育を届けたい。

オランダに移住してきた私ですが、私の心の一部は今も「日本の教育をなんとかしたい」という原動力で動いています。

それをするために、自分には新しい視点も経験も教育以外の知識もない。そんな風に無力さを感じ、オランダに来ました。

これからもっともっと行動範囲を広げ、教育関係の現場に足を踏み入れていきたいと考えています。
そして、たくさん吸収したものをしっかり子どもたちに還元したいのです。

7年間、苦しく悩むことも多かったけれど、仕事に行きたくないと感じたことは一度もありませんでした。
子どもたちがそこにいる限り、最善のアプローチをやめない。
そういう想いでこれからも前に進みたいと思っています。

教師を辞めようと思ったのは
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